海運橋

海運橋の名は明治元年1866年頃に名称で江戸時代のころ幕府の御舟手頭 向井将監の

屋敷などが近くに住んでいたころから将監橋とか海賊橋などが呼ばれようになり

現在は海運橋の親柱は明治8年1875年に架けられ西洋風のアーチ型石橋の時のものでありました。

私はちょうど夜に海運橋の跡を見つけました

夕方頃は人がほとんどすくくなりましたが?

そこは小さな休憩場所もありましたが?

昼間に訪れていれば人がいたかもしれませんね

そこは日本橋から近いところで、日本橋魚河岸跡とか銀行発祥の地 白木屋の井戸などが残されていました

まだまだ沢山江戸時代に残されていたりしています

皆さんで探してみてください


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